雫ひとしずく





静かに時が流れている。
季節もゆっくりと、その足取りを緩めるかのように
沖田の上を通り過ぎていく。
まるで人の世の悲しみなど、お構いなしのように。

その夜は小雨が降っていた。
こういう雨は始末に悪い。
小雨と侮っているとちょっと歩くだけでもぐっしょりと濡れてしまうことも
ある。
そういう時は足場も濡れて滑りやすくなっている。
打ち合いになれば、足元が揺れる。
闘いになったときに足場が安定しないのが一番の命取りとなる。
傘をさす…などと悠長なことはしていられない。
土方と沖田は怪しげな人影を追っていた。

「やはりこちらへやってきたか」
「土方さん、後ろからふたり」
「うむ。どうも前の連中にここまでおびき寄せられたようだぜ?」
「私は後ろを」
「俺は前の連中…〜〜〜」
と言うが早いがダダッと土方が走り出した。
沖田もさっと身を翻して大きく一歩を踏み込んだ。
走り出す足音が湿っているのが分かる。
だがそれは沖田の素早い剣の鞘走りの音でかき消された。
カキーン…
剣の打ち合う第一声が聞こえた。
沖田だった。
「存外…あいつは気が短けえ…」
土方は思う…
っているうちに土方も正眼に構えた志士の初手をかわす。
ふん…定石通り…
土方は刀を握りしめ直す。
難なくその一打をかわして身体を回転させ
後ろから打とうとしていた輩に向かい、あっという間にその胴を下から
斬り上げた。
どうっとその男が倒れる音を確認するより早く、もうひとりが第二打を討ってくる。
素早くかわして後ろへ回ると左袈裟に剣を振り下ろした。
もうひとりもあっけなく倒れた。
びちゃ!と音がした。
血と雨とが混じって地面が赤く濡れた。

振り向くと沖田は既に剣を納めていた。
暗くてよく見えないが、黒い塊がふたつ、地面にうずくまっている。
動かない。
そして沖田がのんびりとした足取りでこちらへ向かってくる。
こいつめ…
こういう時のお前はほんとに豪胆なやつだな。




「でで?その相撲はどっちが勝ったんです?」
鉄之助が原田に詰め寄る。
「そりゃあ決まってるだろ?オレさまよ。そいつったら
今のおめえみたいに細っこくてよ」
「あはは〜!」
永倉が傍で大笑いする。
「…!悪かったですね、細っこくて!
オレはまだ成長の途中です!
大人になっても小柄な永倉さんとは違うんですよ」
「おお?鉄!おいらを抜かす気でいるな?」
「あったり前ですよ!今日だって飯3杯お代わりしたんですからね」
永倉がぷっと笑う。
「おい鉄〜う、左之助はな、5杯食ったよ」
「飯の量ではありませんよね?永倉さん〜修業しだいですよね。
だって永倉さんってばとっても強いもの…」
「くく…まあねえ♪」
「まあ、オレ様に勝ってからえばりな」
がははと左之助が笑った。

沖田の布団の横で鉄之助、永倉、原田は漫才でもしているかのように
笑いこけていた。
夕べ濡れて帰ってきた沖田は少し熱が出てしまった。
だがいつもと変わりない様子で、布団の上に座ってにこにこと話を聞いている。
「沖田さん…少し横になったほうが…」
鉄之助が心配そうに覗きこむ。
「大丈夫ですよ。それよりねえ、
…鉄クンが原田さんより大きくなるとは思えないなあ♪」
「お、沖田さんまで…!」
「だ〜か〜ら〜あ、剣は身体の大きさじゃないってこと。
経験がね、モノ言うの」
「永倉さんまで(泣)…味方してくださいよ…」
「まあ、鉄クンが大きくなる頃には、永倉さんも原田さんも、もっともっと
経験を積んでいるってことですね」
「そうだああ、おめえなんか近寄れないぜ?」
「…いいモン…いつか、きっと…」
とムキになっている鉄を、皆で頼もしく見ているのだった。

そんな声が賑やかに聞こえてくるのを、土方が離れたところで
(柱の影にかくれるように)伺っていた。
今日の土方は沖田に特別な用がある。
先日の「お誕生日のお返し」をするつもりだった。
なのに、一向に、沖田が「部屋に一人」という状態にならない。
誰かがいつもそばにいる。

沖田が熱を出していることは、山崎烝(すすむ)に聞いている。
熱さましを持っていったのに、断られたと言っていた。
隊医でもある烝は沖田に薬を飲んでもらいたい。
なのに「いりません。このぐらいいつものことですから」と言われた。
沖田は微熱が続いているらしい…と察して
山崎は進んでいる病状に、眉をひそめていたのだが…
だから土方も沖田の様子が気になっている。
夕べは無理させたか…と、ちょっとだけ反省も…
なのに沖田はあの様子ではきっといつもの通りに、にこにこと
3人に向かっているのだろう。
あの3人の様子では、熱のある沖田を気遣っている様子は微塵も
感じられない!
土方は気が気でならない。
…頼むから総司をゆっくりと横にしてやってくれ…

「あれ!副長!ここにいらしたんですか!」
藤堂平助だった。
しいいいい!と土方は口元に人差し指を…
藤堂は慌てて口を押さえ、
「何か…?秘密なことが進行中ですね?」
「そ、そうだ、そうなんだ。何か用か?」
小さい声で応答する。
それに合わせて藤堂も小声で
「あの…近藤先生が副長を探しておいででした」
「うむ!そうか。行く」
「はい、そうして下さいね。
ああ、皆さんは沖田さんの部屋に揃っているんだなあ〜
ちょうど良かった。コレ持って行こうっと。
…あ!大丈夫ですよ、みんなには
土方さんが此処に居たってこと、内緒にしておきますから」
「…!!ああ、そうしてくれよ!」
藤堂は大福餅を載せた皿を持っている。
貰い物だというその大福餅は10個近くあった。
左之助や鉄が大喜びするだろう。
土方は沖田の部屋へ向かう藤堂の後姿を、少々羨ましい思いで
見送った…
「ち!」
ああ…でもまた総司がゆっくりと休めないだろうな…


しばらくは賑やかに大福餅を食べながら過ごしたが、
頃合いとみた永倉が、さあ行こうと皆を促し、沖田の部屋を後にした。
廊下をぞろぞろと並んで歩く。
「ねえ…永倉さん…沖田さん熱があったのでしょう?
良かったんですか?あんなに騒いで…」
永倉はにこっとして鉄之助を見る。
「まあね…でも今日は特別な日だったからね…」
「何ですか?特別な日って?」
「今日はあ〜、総さんの誕生日だったんだよ」と
原田が答えた。
「え?誕生日!ちっとも知らなかった!ねえ?藤堂さん!」
「ええ、知りませんでしたよ!なんですか、永倉さんと原田さんは
知っていたのですか?」
「まあ…ネ」
「でも、沖田さん、何も言わなかったし…」
「ばかめ!おめえだったら『今日はボクの誕生日なんですよお♪』とか
騒ぐだろうが、アイツはそんなこと自分から言わねえんだよ」
「じゃあ、今から言ってきますよ。オメデトウって」
「だからおめえは子どもだってえんだ!
それはちゃんと言ってくれるヤツがいるじゃネエか」
「えええ?…あ…!」
「鉄クン…たとえ病気で寝ていてもさ、やっぱりひとりぼっちの誕生日は
寂しいと思わないかい?」
永倉が静かに微笑む。
それに応えて、鉄之助も静かにうなづく。
「それに沖田さんは自分の病気を俺達に悟られたくないだろ?
余計な気遣いはかえって嫌なんじゃないかな。
それより、ちょっとの時間でも「ひとりぼっちじゃない」って思わせてやりたかったんだよ…分かる?」
「はい…」
「土方副長もさ、忙しいからさ、きっとまだオメデトウを言いに来てないだろうしさ、俺達で少しでも笑わせてやろうかなって…」
「大人ですネエ、永倉さん、原田さん!」
しきりに藤堂が感心する。
「ちょうどいいタイミングに平助が大福餅を持ってきてくれたし。
あれで良かったんじゃないの?」
「…はい…そうですね…」
「だから後はゆっくりと休ませてやればいいんだ。…あいつ、大福餅、
半分も食べられなかった…!」
原田が悔しそうに舌打ちした。
そんな原田を永倉が下から見上げる。
そしてポンと大きな背中をひとつ叩いて
「左之助…」
と小さくつぶやいた。


「あれ…?」
廊下を急ぐ山崎烝は、庭に一枝の紫陽花が落ちているのを見つけた。
それも縁側に程近いところに落ちている。
…なぜこんな所に紫陽花がひとつ落ちているのだ?…
一枝の紫陽花は、まだ先ほど摘んできたように瑞々しい。
山崎はそれを拾い上げると、急いで医務室に駆け込む。
空いた薬ビンがあったはず…
その小ビンを見つけると丁寧に洗い、先ほどの紫陽花を差す。
かわいらしい…。
そうだ…これを沖田先生の所に持っていこう…
そしてやっぱり熱さましを飲んで頂かなくては…と
いそいそと沖田の部屋へ向かった。
だがしかし、沖田はすっかりとくたびれてしまったらしく、小さな寝息を
たてている。
枕元には半分の大福餅があった。
ひとつのお餅も食べきれないのか…!と烝は胸が痛くなる…
寝ていらっしゃるなら、わざわざ起こすこともなかろう…と
烝は沖田の枕元にそっと先ほどの小ビンを置く。
そして寝顔を覗き込む。
「…お誕生日でしたよね…おめでとうございます…」

わずかに微笑むと静かに部屋を後にした。


土方が屯所に戻ってきた頃には日はもうすっかりと落ち
夕餉の途中の皆に出くわした。
「あれ?土方さん。今お帰りですか?」
永倉が驚いたように言う。
「ああ。今まで局長と出かけていた。
沖田はどうしてる?」
「先ほど夕餉ですよと声をかけに行ったのですが、眠ってるみたいだったのでそのままに…」
「そうか…」
と、土方は急いで居間を出て行く。
鉄、藤堂、原田、永倉はその様子を見てくすっと笑う。
きっと!きっと…!
皆は嬉しそうだった。


そっと襖を開けて部屋に入る。
明かりの無い部屋は静かに静かに闇をたたえていた。
沖田は布団に横たわり、寝息を立てている。
顔が蒼白く見えて胸が詰まる。
ほの暗い部屋のせいでないことがつらい。
だが穏やかな寝息で、苦しそうでないことを確認して安堵する。
そっと枕元へ近づくと、土方は沖田の頬に触れた。
少し熱い…
まだ熱が引かねえか…

「総司…今日はごめんな…」
小さく小さく語りかける。
「用が出来ちまって…悪い」
土方は眠っている沖田が「いいんですよお、土方さん♪」と
笑ってくれるような気がした。
いや、こいつ、意外とネチッこいからな…後で反撃されるやも知れぬ。
用心しなくては…とかなんとかも思ってしまう。

あれ…?と見ると、小さなビンに紫陽花が差してある。
あ!オレが取ってきた紫陽花だ…!
誰がこんなことを…オレはあの後、庭に捨てていったはずなのに。
総司の元へ行くのが遅くなりそうだったから、仕方ネエ!と
捨てた花だった。
後でもう一本取ってくればいい…と思ってすっかり忘れていた。
誰が見つけたんだ?それもちゃんと水に…
あ!と気がつく。
紫陽花が差してあるビンは薬ビン。
…山崎め…
ありがたかったのが少々、してやられた…と悔しかったのが少々。
あいつめ…と口の端で笑った。

「総司…
紫陽花…もっと取ってきてやりたかったんだけどよ。
人目があってな…1本ですまん…
だが、明日になったら…もっともっと取ってきてやる。
そして…」
土方は沖田のおでこに置いてあった手ぬぐいを取り
そっと口づけた。
「おめでと…」
手ぬぐいをしぼって、そっとおでこに戻す。
そして静かに立ち上がると、沖田の寝顔を見て少し笑った。
お?大福餅!♪
半欠けの大福餅を見つけた土方はホクホクとそれを持って外へ出た。
腹ペコだったんだ…どうせ総司の食いかけだろ?♪いひひ。
と、ガブリと噛み付いたが…
「か、硬え…!」
…と毒づいた。

土方の遠くなる足音を聞きながら、総司は目を開ける。

硬くて当たり前でしょ?
それ、昼間のだもん。
早く来てくれればそんなこと無かったんですよ!ふ〜んだ…

総司は紫陽花を見つめる。
瑞々しい紫色は、総司の最も愛する色だった。
土方さん…分かっていてコレくれたのかな…?
まさかなあ…あの朴念仁が…
でもまさか、この花、土方さんが摘んできたなんて思わなかったです。
てっきり山崎さんが気を利かせて…って思ったんですよね。
もお〜!だから早く帰ってきてくれれば良かったのに…
もう…疲れてしまって…
起き上がれなくてすみません…

でも…おでこにキスしてくれたから…
おめでとうって言ってくれたから…
許してあげます…

大好きです…土方さん…
そしてもちろん、みんなも。



紫陽花に置かれた露のような、美しい一筋の涙。
それは決して自分の身を悲しんだものではなく
喜びの涙だったに違いない。





おめでとう!沖田総司クン!
私もあなたが大好きですよ♪        城みづき  04.6.1





沖田総司の誕生日については
はっきりしないものが多く、6月1日が有力である、という
書き物を拝見してこちらを製作いたしました。
御命日が5月30日で
享年25歳と書かれてあるものと29歳と書かれてあるもの両方を
見ましたが、こちらは25歳というのが最有力だそうです。
お墓は専称寺で、東京都元麻布に有ります。
六本木ヒルズの真裏辺り。
結構近場♪
ですが、沖田人気のあまりの凄さにお寺側も制限せざるを得ず、
現在は墓前で手を合わせることが出来ない状況になっていると聞きます。
ですからワタクシ、同じ東京に居合わせていましても
お墓参りに参上できず…
ですので自宅の仏壇に線香を上げ、手を合わせるに留まりましたも
沖田人気の凄さにまこと、感嘆…!
こころより御冥福をお祈りしつつ、沖田クンのお誕生日ものを
こんなに嬉々としてラブコメディ風に仕上げました♪
せめてもの香華になりましたことやら?



なお、土方歳三が箱館(旧字)で戦死するのは
そのほぼ1年後。
近藤、原田、藤堂、山崎などは沖田より先に没。
市村鉄之助は土方に最後まで付き添い、箱館戦に参加を許されず帰郷、
後に戦死。
永倉、斉藤、島田はその後多くの修羅場を奇跡的に潜り抜け、土方の力になり、
天寿を全うした。