<気持ち半分>〜第八十五幕より〜

 派手に扉がわりの筵を蹴り飛ばして現れたのは、操と弥彦だった。

「操殿、弥彦…」

 驚いて振り向いた剣心の眼に映ったのは、葵屋の操、そして東京にいるはずの弥彦だった。だが、その後ろ、戸口の外に立っている人影を見て剣心はその夜明け前の空の色にも似た目を大きく見開いた。

「…薫殿…」

 紛れもなく、それは神谷道場の剣術小町だった。彼女は濡れた黒曜石のような瞳で剣心を見つめている。何故ここに…?剣心は凍り付いたように彼女を見つめたが、比古の言葉ではっと我に返った。

「知りあいか?」

 この無礼な闖入者たちに、動ずる風もなく比古は平然と剣心に問うた。

「……ええ」

 一呼吸の後、やっと剣心は視線をはずし答えた。

「やれやれ今日は千客万来だな。望んでもねーってのに」

 後半は大きなため息と共に、聞こえよがしに放たれた。そして、まだどうしていいか分からぬという顔をしている剣心に、用を言いつけた。

「剣心、お前一っ走り沢まで降りて水汲んで来い」

「は?」

「ここには一人分しか蓄えがねーんだ。お前はともかく、朝までこのガキ共を飲まず喰わずにしとく訳にいかんだろ」

「なんで拙者が?」

 言いつけられた方は、一見無邪気に聞き返してくる。

このバカが、そんな事も分からんのか、といった顔で比古は説明し始めたが、実は単にこの場から剣心を遠ざけたかっただけなのだが…。

「女子供に夜道を歩かせる気か?」

「いや そーじゃなく師匠がいけば――」

 剣心にとって、薫たちの出現は思いもよらない事だった。先ほど、奥義の伝授を断られたが、まだ、あきらめた訳ではない。何としても食い下がり、再度申し出るつもりだった。その為にも、今はこの師匠の方へ意識を集中させなければならない。薫たちのことは一旦頭のすみに追いやり、師匠のペースに合わせていったので、剣心はだんだんとかつての師弟関係に戻りつつあった。それ故今、そこにいるのは、あごを軽く突き出し、生意気にも反論する昔のように気の強い分からず屋の弟子だった。

「…相変わらずいい度胸だな」

 そんな剣心を、比古もニッと凄みを付けて睨み返した。そして、ビシッと戸口を指差すとかつてのように怒鳴りつけた。

 「ぐだぐだいってねーでサッサと行け!オラ」

 この師弟のやり取りは、東京にいた頃を知っている弥彦や、京までの道中を共にした操には信じられない光景であった。いつもやわらかい物腰でにこにこしながら文句も言わず、何でもこなす剣心とは大違いだったので暫しあっけに取られ呆然と見ているだけだった。

「ったく、人使い荒いなあ…」

 ぶつくさ捨て台詞を残しながらも、師匠に一喝されて剣心は立ち上がり戸口へと向かった。そこに佇む薫も弥彦も目に入らぬかのように、顔を向けることも、立ち止まる事もせずに通り過ぎる。

 小屋の横手にまわり、水桶を左右の手に一つづつさげて、剣心は細い道を沢へ向かって降りていった。

 すでに夜もだいぶ更けており、道を辿るには夜空に流れる銀河の微かな明かりを頼りにするしかなかった。もともと夜目のきく剣心にはさして難しい事でもなかったがさすがに女子供には、困難な道といえよう。そこを桶を二つ持ち、器用に辿りながら思いがけず現れたあの二人の事を、剣心は改めて思い返していた。

 弥彦……相変わらず元気なこの少年剣士の声は、東京にいた頃のにぎやかで、しかし楽しかった日々のことを思い出させた。

 そして、薫殿…快活な彼女が自分や師匠を見ても、一言も発する事が出来なかったのは、かなり思いつめていたからであろう。

 素性も分からぬこんな流浪人をあたたかく迎えてくれた神谷道場の剣術小町、そのためか思いもかけず長居をしてしまった東京。そこを去る時、彼らとはもう二度と会うことはないだろうと思っていた。それがこうして再び会いまみえようとは…剣心の心は複雑だった。

 今の自分にとって、これから対峙しようとしている志々雄一派との闘いは、誰かを守りながら闘いぬくというのでは、かなり困難なものになるであろう。まだ、奥義の伝授さえ危ぶまれるこの時、剣心はいいようのない不安と焦燥感に捕らわれ、微かに苛立ちを覚え立ち止まると、かぶりを振った。ふっと、小さなため息をもらし、わずかな星明りを煌かせて流れる水を見つめた。

 いつの間にか道は沢へと降りきり、ほんのちょっと前を涼しげな音をたてて水が流れていた。水源が近いのであろう、まだたいした水量もなく、あちこちから湧き水を集めて流れているような沢は、昼間見ればさぞや涼しげな景色であろう。夜目にも白っぽい大きな岩が足場のように流れに突き出ている。剣心はそこから桶を流れに入れて水で満たした。二つの桶を一杯にして岩の上に置くと、しゃがんで水の流れを覗き込んでみた。もとより、何も見えるはずはなく、自分の影が微かな星明かりさえも遮り、ぽっかりと真っ暗な深淵を覗き込んでいるような気がした。

 この深淵の奥深くに自分は狂気の人斬りを住まわしている。だが、その反面、さらに困難になるであろうこの状況下で薫殿や弥彦に会えて、何故かほっとしている自分がいる事にも気付いていた。

 東京を出る時、柄にもなく別れを告げた女性。あの時も水の傍で、幽玄な光を放つ蛍が飛んでいた。何故か思わず抱きしめてしまった彼女が涙している事に気付いていたが、感謝を述べ、別れを告げた。一言も発することのなかった彼女をそっと放し、その場を立ち去った。もう会うことはないだろうと思って……。だが、そのあとも彼女のことが心の片隅に残っていた。強い彼女のこと、仲間もいるしこんな自分が心配することなどないと思っていたが、今、その顔をみて何故かほっとした――それがどういうものか、この時はまだはっきりと解かってはいなかったのだが…。

 剣心はふっと自嘲の笑みを口の端に乗せると、立ち上がり両手に桶を下げて、もと来た道を戻りはじめた。

“薫殿と弥彦が京都に来た…とすればおそらく左之助も来るに違いない”

 あの男がおとなしく東京に残っている訳はなかろう。相楽左之助…
剣心は今でこんな男に出会ったことがなかった。

 比古は親がわりであったが師匠である。維新志士たちは、同じ志を持つ仲間ではあったが、自分は人斬り、対等とはいえなかった。だが、この自分よりひとまわりも若く、ひょろりと背の高い男は、初めて会った時から気持ちのいい男だった。赤報隊、維新志士として拳は交えたが、その思いは同じであった。それ以来、何かといえば互いに背中を預けて闘える仲間として、いつしか当たり前のように身近にいる存在となっていた。この十年、常に一人で流れてきた。それが、こうして仲間、いや友といってよい者達ができるとは思ってもみなかった。

 そして今回の一件で、左之助には手ひどい怪我をおわせてしまった。血の海の中に横たわる左之助を見て、一瞬死んでいるのかと思った時、頭の天辺からつま先まで、冷水を浴びたような衝撃は忘れられない。怒りよりも前に、自分の前から永久にその姿を見ることができなくなると思った時の喪失感、ぽっかりと穴が開いたような寂しさと悲しみ…。幸い一命は取り留めたが目覚めるまでの何と長かったことか、これが友というものなのだろうか。この年になるまで、そういう者のいなかった剣心にとって、それは初めて知る感情だった。

左之助のことだ、やがてひょっこりここ京都に現れるだろう。

“たりめーだ コラ”

という彼の顔が目に浮かぶようだ。そして、まず間違いなくこの闘いの中にその身を投じるだろう。はたして、今までのように背中をあわせて闘えるだろうか?

“またひとつ志々雄との闘いが困難になる…なのに”

 なのに、一方では共に闘えればどれだけ心強いだろうか…という、相反する気持ちもあって、その矛盾する考えに剣心は小さくため息をついた。気がつくと前方に灯りが見える。比古の小屋がすぐそこだった。

 暫し立ち止まり、その中にいる者たちのことを思った。どの顔をさげて彼らに会えばいいのだろうか?剣心は気を取り直し、平静を装うと操に蹴られて扉がわりの筵がなくなってしまった戸口に立った。

 中は和やかというには程遠いが、それほど険悪という雰囲気でもなかった。皆の視線が一斉に自分に注がれるのを感じ、ある種の間の悪さを覚えつつ剣心は中へ入った。師匠がニッと意味ありげな笑みを浮かべて自分を見るのを不思議に思いながら、指示をあおいだ。

「師匠、水はどこに置――」

「おまえ、この十年流浪人になって人助けしながら全国を歩いていたんだってな」

 剣心の言葉を遮って比古は言った。自分がいない間、どのような話があったのか、怪訝そうな顔を師匠に向けた。

「十五年も時間を遠回りしてやっと飛天御剣流の真の理(ことわり)を自然(じねん)に会得したのか、それとも人斬り時代に殺めた命への償いか」

 小屋の片隅に水桶を置き、ややうつむき加減のまま、前髪の下から師匠を見据えるようにして、少しためらいがちに剣心は答え始めた。

「…両方…でござるよ。それともうひとつ、十五年前の喧嘩別れの時にも言ったと思うが、目の前の人々が苦しんでいる、多くの人が悲しんでいる、どんな理由があろうとそれを放っておくなど俺はしたくない…」

「フン…バカ弟子のくせに、ここぞと言う時には一人前に吠えやがる」

 比古は口の端を吊り上げ、鼻であしらうようにぼそっと言ったが、次の瞬間、白い外套を勢いよく翻し立ち上がると叫んだ。

「ついてこい!飛天御剣流最後の奥義、お前に伝授してやる!」

 そこに居合わせたものは皆、声にならない叫びをあげて、驚愕に目を見開いた。

「何だかんだいって飛天御剣流の剣客として志々雄を放っておくわけにはいかんだろう」

「師匠」

 剣心が口を挟む間もなく、比古は話しながら戸口へと向かっている。

「今から新しい弟子を探して仕込むには時間がない。俺自身が出張れば一番てっとり早(ばえ)えんだが、今更そんな面倒臭え事は御免だ」

「…師匠…」

 少々呆れ顔でつぶやく剣心。あとの者も一様に脱力してこけた。が、ぎろりと剣心を睨み付けるとそれまでとは異なる口調で言った。

「お前が責任を持って志々雄真実を喰い止めてみせろ」

 師匠の鋭い眼光を、剣心は決意も新たにぐっと受け止めた。

 そのまま外へ出てゆく二人を、薫が追いかけ初めて声を掛けた。

「剣心!」

 師弟は足を止め、比古は軽く後ろを振り返った。が、剣心は立ち止まったまま振り向かない。薫はコクリと息を呑むと、そんな剣心の背に向かって話し始めた。

「危険…省みず京都に来たの…やっぱり怒っている…?」

 剣心はできる事ならば振り向き、薫殿の顔に影を落としている心配事を除き、いつもの彼女の笑顔を取り戻してやりたかった。だが、今はまだ、振り向く事はできない。やっと、これから奥義の伝授が始まる。はたして自分がそれをきちんと会得する事ができるのか?志々雄真実を食い止めることができるのか?今、この不安な状態で振り向いたとしても、掛ける言葉が見つからなかった。気休めの言葉を掛けられるほどの余裕も自信も、今の自分にはなかった。だが、沢へ行く道すがら思った事は事実だった。

 剣心はそのまま振り向くことなく、正直な自分の気持ちを告げた。

「…半分、もう半分は何処かほっとした…」

 あとは志々雄一派に対する注意を喚起して、師匠のあとを追った。今するべきことは、なんとしても奥義を会得することしかない。皆の視線を背中に受け、剣心は師匠と森の中へと消えていった。

 この時、剣心は知らなかった、また、知る由(よし)もなかった。薫が、弥彦が、別れて来た仲間達が、かれ自身を支え、その命を救い、大きな力の源となることを…。

 短い初夏の夜はやがて夜明けを迎えようとしていた。

―完―

―チドリより―

拙い文章をここまで読んで下さってありがとうございます。
巻之十一第八十五幕より、水汲みを口実に一人蚊帳の外へ出された剣心はいったい何を思っていたのか、という疑問から書いてしまいました。
冒頭の師匠とのやり取りは書いていて楽しかったですね。
いつも涼しげな顔をしてあまり感情を表さない剣心はも〜う妄想が、
いえ想像がワンサカ湧き起こります。
チドリの中の剣心ってこんなものです。
みづきさん、宜しかったらお近づきのお礼と、
クリスマスプレゼントとしてお受け取り下さい。



チドリさま
この度は素敵なクリスマスプレゼントを頂きましてどうもありがとうございました。
そうそう…きっと剣心こう考えていたのでしょうね★
チドリさまとお知り合いになれてから、犬夜叉とるろ剣、両方お話しできるので
とても楽しいです!
これからも素敵な作品をどんどん書かれて
私たちを楽しませて下さいね!
イベント会場でも、どうぞヨロシクです〜♪
相互リンクもありがとうございました。
チドリさんのサイト「夢の道草」は我がリンクページから飛べます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

         城みづき 拝