「夢幻の桜」


完全に咲きそろう前の桜が、なんとも初々しい雰囲気の春まだ浅き日。
水色の空と白い雲の美しさを愛でながら
剣心は道場への帰途。
薫殿に頼まれた届け物の用事は、無事に済ませている。
少々遠出と言うこともあり、剣心は遅くなっては夕餉に間に合わぬ…と
その足を速めていた。

「これはなんと…」
開けた両の道沿いに、その見事な姿を惜しげもなく見せつけるような多数の桜。
まるでその道の先が「冥土」でもおかしくないような、そんな幻のような美しさに
剣心は目もこころも奪われた。
その見事な桜を眺めながら歩いていた人々も途絶え
いま、一瞬、
剣心ひとりを
その「冥土」への旅に誘うかのようだった…

ひらひらと…
ちらちらと…
いくつかの散り急ぐ花びらの舞の中を
剣心は歩いていく…



「緋村…行くのか…」
”はい、桂さん…オレの役目はもう終わったんです…
たったひとりの愛する人の命も守れなかったのに、
これ以上剣を振るい続けることに意味を感じなくなりました”
偉そうにおれは言った。
言い放った…というのが正しい。
そんなおれに、それ以上何も言わずに黙って下を向いてしまった桂さんを残して
そうだ、おれは出ていったのだ。
後の長州藩のことなど、どうでもよくなっていた。


「緋村。お前が本当に捜しているもの…それが分かるまで、これを差していな」
差し出された逆刃刀…赤空のまなざし。
受け取った刀…人斬りにはまるで意味を持たぬその刀を剣心に渡した刀匠は
後の不穏な時代の行く先をすべて理解し、早々にこの世を去った。
あの、節々のしっかりとした職人ふうの手が、思い出される。



あれ…
もう死んだ人達なのに…
どうしておれに会いに来てくれるんだろう…
ひょっとして、これは「夢」なのかもしれないな…
いや、おれ、もう死んでしまったのかも…?
と、剣心はのん気に考えた。
じゃあ、もう何を言っても許されるだろうなあ…とも。



「ばか弟子が…!」
ええ、そうですよ、出来の悪い弟子で申し訳ありませんでしたね。
でもそれは、師匠が悪いんです。
おれなんかを拾ってそして、
飛天御剣流の後を継がせようなんて都合の良いことを考えたりしたから。
それにあの白マントをおれは受け取っていません。
おれは飛天御剣流の跡継ぎでは無いので!
でも育ててもらったことには、感謝しているんです、これでも。
この剣のお陰で、たくさんの人と出会えました。
いい思い出ばかりでは、決してありませんでしたけれど…
まさに多くの人の、そして拙者の人生を狂わせたほどの「剣」…



「そうだ!剣を持たないお前など、お前ではない、抜刀斎!」
新撰組の最も怖い存在であったかもしれぬお前は
いつもおれをその目でにらむな。
おれの過去は過去で、放っておいてくれ…
だが、おれ達にとってあの幕末と言う時代は、まったくおかしな、
そして危険で輝かしい日々であったことだけは確かだ。


「剣さん…私、会津へ帰ります…お身体にだけは気をつけて」
傷心の乙女は、その自分の過去に捕らわれながらも多くの人々の身体を気遣い、
東京の下町で医師として働き続けてくれたのだ。
剣心やその仲間たちのケガに、適切な治療を施してくれたその手腕は
故郷に帰っても更に輝きを増し、人々の信頼を集め、
しっかりとその足で歩いて行ける人となろう。
そうか…恵どの…今までどうもありがとう…


「剣心!剣心!」
髪に青いリボンを結んだ少女には、いつも悲しい思いばかりをさせてしまった。
側にいる少年が大きくなる頃には、きっとその道場も安泰であると思われる。
不甲斐ない自分のことは忘れて、どうかどうか幸福になって欲しい…



そうか。
薫どのが泣いているのは、やっぱりおれは死んでしまったのだな。
そうか、死んでしまったのなら、自由に会いたい人を呼ぶことが出来る。
ならば、そうさ、アイツを呼ぼう。
言いたいことがある!




「え?旅に出る?」
「ああ」
「どうして?せっかく皆と楽しく暮らしているというのに?
やっと…やっとこれから、平和に暮らしていけると思えてきたのに…」
左之助の腕を掴んで訴える。
目には涙がみるみると溜まった。

「剣心…聞いてくれ…
オレは、オレはな、強くなりてえんだ。もっともっとな。
おメエに10年が必要だったようにオレにも時間と場所が必要だと思う。
多くのものを見、多くの人に出逢って、腕を磨いて大きな男になりてえ」

左之助の目はその未来に向けて輝いていた。
そして剣心には「このような日がいつか来ること」を分かっていたような気がしていた。
左之助が、いつか東京を飛び出していくだろうということを。

「わかってくれるだろう?」
「わかる…わかるけど…」
剣心は喉が詰まってうまく話せない。
「いやだ…さの…」
「剣心…。さよならじゃない。もう会えないわけじゃない。
いつだって何処にいたって、オレの気持ちは変わらねえ…」
「でも、会えない…。毎日会えない。寂しくて死んでしまうよ…」
「ああ…寂しがってくれ…オレも…」

左之助がぎゅっと剣心を抱きしめた。

「きっと…」


その後、憎たらしいほど爽やかに、左之助は旅立っていったのだった…


左之助!
左之助!
聞いているか!
おれはあの後、本当に寂しかったよ。
どうしても会いたくて、大陸まで行きたいと何度も考えた。
なのに…とうとう会えずじまいだったな…
悔しいよ…
会えない前に、おれは死んでしまったようだよ…




「大丈夫だ…オレはここにいるから…」
「左之助?左之助なんだね?」
「そうだ!オレだあ!」

その「オレだあ!」の声があまりにも大きくて
剣心は我に返った。

「あれれ…拙者どうして……でで、どうしてお主が此処にいる?」
「なんだよ、せっかく迎えに来てやったというのによ、その言い方は」
「そうか。あの世から迎えに来てくれたのだな?そうか〜、お前も死んだのか」
「バカぬかすな、剣心、お前何呆けてるんだ?死んじゃいねえよ!足を見ろ!」
「あれ…ほんとだ…付いてる…」
「まったくよお…このボケ!お前、桜の下で居眠りなんかしやがって…歳だなあ!」
「なにい、この!」


…確かに、先ほど見上げていた見事な桜の木の下にいる。
いつのまにか、眠り込んでしまったのだろうか?
では先ほどの人達は、剣心の夢にわざわざ出てきてくれたのは何故なのだろう?
死んだ人もいま生きている人も、出てきてくれたなあ…


「帰りが遅いからよ、ちと気になったんだ…
ひょっとして…とな」
「ひょっとして…もう帰ってこないかもしれない…とか思ったんだ」
「じょ!冗談じゃネエ!冗談でもそんなコトを言うな!いいか!お前の帰るところは」
どんと胸を叩く。
「此処しかあるめいよ!」

「さの…おれは本当に『もう帰らない』と思ったよ…」
と、剣心は恋人を見つめながらそう思ったが、口では
「まさか!さのという恋人がいるというのに?」
と、あの、泣く子も黙る満面の笑顔で答える。
この笑顔には左之助は、毎度のことながらイチコロである…
ああ…騙しやすくて助かるなあ…


「剣心よお…見つけた時お前、眠りながら『左之助、いやだ…』と何度も言ってた。
おれが何かしたのか?夢ん中でよ?…」
「ああ…さの…お前は意地悪を言っておれを泣かしたんだ」
「うへえ!何だよ!そりゃひでえなあ!
このオレが実際そんなコトするハズ無えだろうが!」
「さの…夢の中で、おれは過去だの未来だの、いっぱい見てきてしまったよ」
「へ?オレの未来も…か?」
「ああ…そうだよ」
左之助は乗り出して聞く。
「教えろよ。オレ金持ちになってたか?ようよう〜」
「夢の中で意地悪したから、教えない」
「あんだあ?この〜」

左之助は剣心をひしと抱きしめた。
剣心もその腕に身を任せた。

暖かなその抱擁が、
いつまでこの腕が自分のためにあるか、と不安もよぎる。
しかし、あの、まるで桜が見せてくれた「夢」のような出来事は
いや「夢」なのだろうが
きっと左之助の未来として現実のものとなることだろう。
その時おれは、笑って左之助を見送ることが出来るのだろうか?


桜よ…桜…
おれにこの夢を見せてくれたのは何故なのか?
過去に、未来に、おれの生きる道を考えさせるためだったのだろうか?
この意味は何だったのだろう…

ひらひらと…
ちらちらと…
ふたりの髪に、肩に降り落ちる、雪片のような花びらの舞。


剣心は左之助の腕を優しくほどいてその顔を見上げる。
「ほんとに…周りの桜も色褪せて見えるほどに、お前には『華』があるなあ、さの…」
「決まってら!男に『華』がなくちゃ、男じゃネエだろうさ?違うか?」
「ああ、そうだな。そういう考え方だもんな、さのは、あはは」
「剣心…」
左之助は真面目に、そして心を込めたほほえみを浮かべながら語る。

「剣心…お前がオレの『華』だ…忘れるな…」
剣心はその言葉に静かにうなづく。
嬉しさに胸が詰まった。

「オレ…桜も何もいらねえから…お前がオレの『春』だから…」



桜よ…桜…
この言葉を聞かせてくれる為に、おれを此処へ呼んでくれたのですね…
どうかこの一瞬だけは
「夢」ではありませんように…






    城みづき    

   拙著「Pieces」のまんが「Just the way you are」よりヒントを得て。