「土方歳三 散華にあらず」


北の地にようやく訪れた遅い春は
凍てつく大地の雪を溶かし始めていた。
花々の硬い蕾をくすぐる風はまだ冷たくも
その匂いにおいて春を感じられるものになってきているのが窺える。
それは歳三の硬く閉ざされた心の奥底の感情をもゆっくり溶かしつつあるのか、
どこか懐かしい心持ちにさせられる。

思えば、よくこんな遠いところまで来たものだな…
歳三はひとり、宮古湾を臨みつつ思う。



この北の大地で繰り広げられてきた戦闘の数々も
もはや過去の物になりつつあるのを、歳三は感じ始めていた。

歳三がこの地に初めて降り立った時、
「蝦夷地」は新参者の侵入を、明らかに拒んでいたように思う。
希望や進展、修復…それら全てを拒まれていたと感じても過言ではなかった。

だが何故自分はここまで事を進めてきたのか。
それらに意味があったのだろうか。
そんな事を考える間もなく、歳三は自分の狂気に操られて
ただ進んできたとしか言いようが無い。

多くの朋友のいのちを引き換えにしてまで、この闘いに意味があったのだろうか…
その疑問も、すでに遠いもののようにさえ、感じられる。
白き悪魔の様な土地だ、と、歳三は思ったものだ。
いや、どこまでが土地で有り、どこからが天になるかのかさえ分からぬ、
ただ「白い土地」。
その境界のはっきりしない様子は、まさに自分の心境と同じものだ…
それだけは確かだと、その時歳三はひとり思った。

「何故行くのだ!死にに行くようなものだぞ」
「死にに行くのではありません。
戦いに向かうためでございます」
「では俺も同行する。君ひとりでは行かせんぞ!」
「ひとりではありません。
『新撰組』のやつらと参りますゆえ。
ですから松本先生とは、ここでお別れいたします」
「ひ、土方くん!」

半ば喧嘩別れの様な最後だった、松本良順医師との会話を思い出す。
しかし松本医師は通風を患っていらした。
これ以上の強行は無理であった。
これ以上の意見に耳を貸さず、という強気の態度とはうらはらに
歳三には身を引きちぎられるような思いがあった。

数々のこの身に余るご配慮、感謝以外にありませぬ…
この歳三、死ぬまで、いや死んでなお地獄に参ります時もこのご恩情、
決して手放しはいたしませぬ。

松本の涙を見て見ぬふりをして仙台で別れた。


もう自分の周りに残る仲間たちは、ほんの少数であった。
かつての新撰組隊士は島田、市村ら、数名。
その市村にも最後の命を与えて帰してしまった。
だがその後に土方の下に配置された兵士達も、同じ新撰組隊士として
接してきた歳三だった。
彼らの、その意気込みと自分を信じて動いてくれる態度は
共に修羅場を駆け抜けた旧友らと寸分変わることが無かった。

またひとり、ひとり…と戦闘の場数の分だけ、仲間も減っていく。
それらの衝撃を、ぐっと心の奥底に抑える力も、もう今の歳三には残っていない。
「俺は狂っている」
そう思うことで自分の行動を肯定している。
「それこそが狂気だな」
と笑うしかなかった。


「そうですね。土方さん。
それはもう狂っているとしか言いようがないかもしれませんよ?」

総司…
お前を思い出すとな…
つい甘えてみたくなる。
こんな感情を持つオレを肯定してもらいたくなるな。

「いいええ!反対かもしれません。
私、土方さんのやり方は強引すぎると思ったこと、何度もあるんですよ」

そうか…なら、なぜオレに付いてきたのだ?

「そりゃ…それが『土方さん』だったから…
私をはじめ、新撰組の皆は、土方さんが大好きだったんですよ」

好きなら何でも肯定するのか。お前らは。

「肯定でなくて…難しいな。あえて言うと
一緒にやりたい…かな。土方さんと、近藤先生と、ね。
だから付いて行ったんです」

そうか…


歳三がどんな顔をしていようが、どんな態度に出ようが
いつも変わらぬ姿勢だった沖田総司。
それがどんなに歳三の心を慰めてくれたかしれない。
だが総司にはそれが自然な生き方であった。
「近藤先生と土方さんにどこまでもついていく」
これこそが総司の、ただひとつの生き方であったのだ。
その総司は、歳三が北へ奔走する途中、ひとり東京の療養地で逝った。


総司には千駄ヶ谷にある植木屋の離れを借りてやった。
小さな部屋でも、静かで、あまたの木々花々は、総司の心を癒してくれるに違いないと思った。
主人の平五郎も、事情のある総司の隠蔽、看病を快く引き受けてくれた。
温かみのある人物で、思慮深く、総司を充分に気遣ってくれるであろうと安堵した。
近藤と歳三の、総司にしてやれることの出来る、せいいっぱいの環境だったと思われる。
総司はそこで、暖かな人情と美しき花々に包まれて逝ったと信じている。
いや、そうであったろう。
そうであって欲しい…と願わずにいられない。

その平五郎宅で交わした会話が最後となった。



「ちょっと前に来てくれた原田さんも…
上野の闘いに出るって。きっと手柄を立ててくれるでしょうね…」
暇乞いに来た原田は死を覚悟していたに違いない。
だがいつものように総司に笑いかけ、酒の杯を掲げて
「祝杯をあげようぜ。オレとお前と、土方さんへ、だ」と言ったのだそうだ。

原田左之助は己の義に従って闘いに赴き、その後上野で散った。
総司はその原田の死も知らずにいただろう。



歳三は総司の目を覗き込む。
歳三を見つめる、いつもの優しさに溢れたその眸の美しさ。
自分の、魂も何もかも、この眸に吸い込まれても構わぬと思う。
この総司の美しさ純粋さに対面して
歳三は己の身の汚さを思い、やるせない感情が心を覆う。

こいつを此処に置いていくぐらいなら、この場で殺してやりたいとさえ思った。
もう、この「狂気」は、この頃から歳三に付いてまわっていたのだろうか。
離れ離れになることなど考えた事がない相手であった。
そして共に剣に倒れるのだと信じてやまなかった京都時代も
もう過去のものになってしまった。
歳三には放棄不可能な任務があり、総司には抗う事の出来ない運命が近づいてきていた。
だが総司は
「必ず追いつきますからね。
早く治して追いつきますから!
まだ…剣を握れますから…!
お役に立ってみせますよ。
待っていて下さいね?土方さん…」
やっとのことで半身を起こして歳三に抱かれていた総司。
歩くこともままならぬ身体で、いまだ共に闘う事だけを望んでいる。
だがそのただひとつの願いすら叶わぬことを自身で知りつつも
明るく語る総司の心を思い、目頭が熱くなった。
が、強固たる意志を持って、歳三は涙を落とすことはしなかった。
総司も涙は見せていない。


最初の喀血からただ前方の死を見つめて生きて来た総司。
自分の運命だから、と、ただ一途にその悲しい現実を見つめ続けて来られたこの意志の強さに、
オレは少しでも報いるためにも、ここで涙を見せてはいけないのだと
歳三は思っていた。


総司はいつもオレに微笑んでくれていた。
他の隊士達にも、だ。
皆に、心から好かれた一番隊組長「沖田総司」は
己の欲望も悲しみも、その変わらぬ笑顔の下にすべて包み込んで隠し通したのだ。


愛というような生半可な言葉では説明することの出来ない感情を互いに持ち
その情熱に任せて抱き合った夜も
交わした言葉のひとつひとつも
何物にも変え難い宝石の様な思い出として
歳三の中で輝き続けている。
その熱い感情は、歳三をずっと支えてきてくれた。


だが魂を最も近くに合わせたオレに対して
何も「沖田総司」で無くても…とも思った歳三だった。
生きて会えるのは最後になるかもしれないという状況である。
ただの「総司」として、語ってくれればいいじゃないか…と。
だが総司には、これがせいいっぱいの歳三へのはなむけであったのだと
「今」なら思うことが出来る。


「置いていかないでください」
「一緒に連れて行ってください」
「好きなんです、土方さん!」
「死にたくない…!」

それらの言葉は総司の口から出ることは無かった。
だがそれら全て、オレの心には聞こえてきた。

だが総司は語らなかった。
闘いに行くオレの武運を祈る、剣士として同志としてのはなむけ…と
別れの座を涙に濡らしてたまるものかという、
総司のいじらしい決意でもあったのだろう。

置き去りにして去ろうとするオレの心の内を見透かしているにもかかわらず
まだ「ついていく」と語る総司。
こいつにしてやれることは「希望」を残してやることなのだろうか?

「ああ、待ってる!
必ず後を追って来いよ」
「はい…必ず…!土方さん!
だからご無事で…!ご武運を!」
弱々しい声音でも、確固たる誓いを口にした総司。
「ああ、約束する。待ってるぜ。総司」
「はい…!」



その総司の声は今もはっきりと覚えている。
歳三に、総司の死は現実のものでは有り得なかった。
事実は事実。
だがそこまでだ。
自分の心がその現実を受け入れていない。
だから総司はいつも歳三の傍にある。
雪の日も。
風の日も。
嵐吹く日も。
そして、この5月11日にも、共にある。



「ねえ、土方さん…
ほら…これ…」



箱館の空の下、総司の声が聞こえてくる。
いつものように、明るく、心ときめかす声だ。
歳三が「何をだ?」と聞き返したが
総司は何も答えなかった。



だが見上げた天空から
まるでその、総司の微笑みのような、明るい桃色をした桜の花びらが
ちらちらと…雪のように舞い落ちてきた。
肩に…
髪に…
そしてかざした手のひらに…

ゆっくりと静かに降り落ちてきて、止まった。


そうか…総司。
お前は最後の約束を果たしてくれたんだな。
いま、
オレの、この手のひらの中に、
「お前」が居てくれる。


こんな最強の剣士が傍に居てくれるのだ。
こりゃあ、オレの「勝利」だな。
ああ、一世一代の闘いぶりを演じてやろう。
後世の人々は笑わば笑え。
己の誠を貫き通した男どもの人生は
こうして最後を迎えたと知れ。



「新撰組副長、土方歳三、参る!」
歳三の声が響き渡った。
目指すは弁天台場。
その「新撰組」のほとんどが、いま孤立無援で闘っている。
何もせず、黙って見ていることなど出来ない。
腕がむずむずとする。
つくづくオレは闘いに向いているらしい。
バラガキと呼ばれた、手の付けられない悪童時代から、
鬼と呼ばれた副長の頃、そして今もなお。

喧嘩に始まり、喧嘩で終わりか…
オレにはふさわしい。


「士道に背きまじき事」
口の中で唱える。

すまねえ、大鳥さん。
オレは「新撰組」が恋しいんだ!
その「新撰組」としての締めくくりを、オレがやらなくて誰がやるのだ。




土方歳三、散華にあらず。

この人生を「華」と咲かす。

「総司の華」と共に見事、咲かしてみせようとも!




「行くぞ!総司!」
歳三は跨った馬の腹を勢い良く蹴った。






       「土方歳三、散華にあらず」  05/5/11       城みづき









北の土方さんには、この頃更に燃えているワタシです…
ご命日の記念にこんなものを発表…(汗)
でもこの日、この時、絶対に
土方さんは総司を想っていた!
これだけは本当です!
辞世の歌がそれを語っているように思います。

私の「春に往く」は、こんな内容の本になります。